自分自身への逃走 - 自分の常識を破る
自由への挑戦 ‐ とことん正直に生きてみた
<著者:ちー>
4.自分自身への逃走 - 自分の常識を破る
┃復職
1か月の休職を終えて何とか職場にもどった
仕事があったことは回復の支えになった
しかし、仕事は普通にやったが、あまり頑張ろうとは思わなかった
だいたい私は何でも200%でやって倒れる
もっと力を抜いて生活したかった
100%ならいつもの半分の力でも達成しているはずだ
自分がどうしたいのかが分からなかった
今までの人生の目標は、普通の家庭を作ることだった
信じてきたものがなくなって抜け殻のようだった
やりたいことを考えても何もない
学生時代に感じていた虚無が広がっていた
自由になりたい
もう頑張りたくない
人に褒められそうもない、そんなどうしようもないことだけは強く思っていた
┃子供たちの協力
やりたいことをしたかったが何も思い浮かばない
そこで、やりたくないことはやらない方式、を試すことにした
そうやって人に嫌われるならそれでいい
体調が回復しはじめたころに娘と息子に言った
「今家事を再開したら、一生やり続けないと思うと恐ろしくて始められない。一つでいいから継続して家事を手伝ってもらえないだろうか」
娘は夜の食器洗いをし、息子は自分の弁当を自分でつくることになった
弁当作りとはいっても、夕飯の残りと冷凍食品を詰めるだけだ
一汁三菜のような完璧なご飯づくりはやめた
朝ごはんと休日の昼ご飯の配膳はセルフサービスにした
玄関での家族の見送りもやめた
帰宅時も自分でカギを開けてはいってもらう
病気の時の習慣をそのまま継続した
自分のやりたくないことを人にしてもらうことに罪悪感はあった
しかし、過干渉ぎみになっていた我が子を自立させるメリットがある
そう自分にいいきかせた
私は自分自身にかけていた、良妻賢母の足枷をはずした
離婚をしたいのかどうかはよくわからなかった
お金や稼げる力を得たときに、自分の気持ちがハッキリするような気がした
どっちにしてもお金は必要だ
まずは収入を増やそう
そう思った矢先に、タイミングよくITのインテリア雑貨の求人をみつけた
若いころからインテリアは大好きだった
┃ダブルワーク
思いのほかトントンびょうしに採用が決まり、今の仕事とダブルワークで働くことになった
思ったよりも順調に働けた
家事を子供と分担していたことが功を奏した
私の収入は倍近くになった
新しい仕事は楽だったが、長く続けるとシンドイことも出てきた
暗幕のカーテンで閉じられた倉庫で、長時間ピッキングをすることに気が滅入ってしまった
私は明るい部屋でないと、気分がどんどん沈んでくる
締めきった暗い部屋に行くことに気が重くなっていた
私は1年務めて雑貨屋さんの仕事をやめた
せっかく雇ってもらえたのに
お金ももらえるのに
それでも私は自分の気持ちを優先させたかった
仕事よりもお金よりも、自分の感情を取り戻したかった
ダブルワークであったことも強気にでれた理由の一つだった
そして、私は謙虚に働く新人の足枷をはずした
┃転職?
次の仕事を探すと職場の先輩に話すと、ダブルワークをやめて新しい仕事を探してみたらどうかといわれた
短時間のパートのダブルワークが非効率だとは感じていた
けれども、辞めることは絶対できないと思っていた
親切に指導してくれた先輩に、迷惑をかけたくなかった
だから、背中を押してくれた先輩に今でもすごく感謝している
そして、私は義理人情に厚い人の足枷をはずした
すぐに社会保険付きのパートに応募することになった
仕事の内容より、社会保険がついたときの自分の気持ちに興味があった
社会保険が付き、社員食堂が利用できる
今より手取りは減るが、長い目で見ればトントンだと思った
しかし、時給が今より110円も安い
そこに引っ掛かった
正直に生き始めた私はムズムズし始める
安い時給でこき使われるってなんかやだな
面談が終わったあと、メールで時給交渉してみた
ダメなら落とされるだけだ
後日、希望の時給には答えられない、と連絡があったので辞退する旨伝えた
ところが何とか来てもらいたいと粘られ、数日考えてから返事がほしいといってきた
わがままって、言ってもどってことないんだ
私は自分勝手なわがままを通すことで、人生の主導権が自分にあることを実感していた
こうしていろんな足枷をはずして、自分が持っていた愛されるべき人間像をすべて捨てた
自分を押さえつけている常識を破りたかった
だから、窮屈な善人像の檻からでて、自分自身へ逃走することにした
逃げるという名の勇気ある撤退
そう自分で納得できれば何の問題もなかった
<著者:ちー>