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理解を求めても誰も得をしない

うつ病夫の闘妻記

うつ病の“理解”を得るために、自分自身が疲れてしまっては本末転倒。巻き込まれる妻もかわいそう。『妻は理解者』 という過剰な期待を上手にあきらめる方法、教えます。


理解を求めても誰も得をしない

~妻がうつ病を理解してくれない~
 
この記事は、
うつ病にかかって、
とにかくゆっくり休みたがる私と、
休ませまいとする妻との
5年に及ぶ対決の記録。
 
私の闘病記ならぬ闘“妻”記(とうさいき)である。

とは言うものの、
実のところ私の妻は、
夫の行動にはとても寛容で、
私が泥酔したり
多少お金を使いすぎたとしても、
クドクド文句を言うようなことは無い、
基本的にはほがらかな人物だ。

ただ一点。

自分が放っておかれることだけは、
どうしても許せない性分であった。

常に夫婦で「楽しいこと」をしていないと気がすまない。

私がうつ病になっても、
当然その妻の性分が
こちらに都合よく変わることはなく、
連日我が家では
「楽しいこと」が繰り広げられるべく、
妻から多くの要望が私に寄せられた。

そんな妻に、
何とかうつ病を“理解”してもらおうと
アレコレ説明したり
お願いしたりしてみたが、
すればするほど妻の私に対する
“休ませまい”とする態度には拍車がかかっていった。

それらの妻の行動や言動を、
この記事では、あえてコミカルに
妻からの「攻撃」と見立てて、
その攻撃から我が身を守るために
私が考え出した具体的な「戦略プラン」を紹介していく。

私が、まさに実戦の中で練り上げ、
結果を出してきた具体的なノウハウだ。

といっても、妻の“理解”を得るためのノウハウではない。
 
あくまでも、
妻からの要望をいかにかわし、
互いにストレス無く生活できるかに主眼を置いている。
 
つまり“理解”をあきらめるノウハウだ。
 
うつ病の克服には、
家族、とりわけパートナーである
妻や夫の“理解”が必須と言われる。

しかし、その“理解”を得るために
自分自身が疲弊してしまっては本末転倒である。

“理解”を得ようと
イライラしたり苦しむよりも、
その期待をすてて、
パートナーの一つ一つの行動や言動に
機械的に対処していく方法を考えた方が
現実的であり、お互いに疲弊も少なくて済む。

つまり、“理解”してもらいたいという
考えそのものを取り除いた方が
自分のためになる、ということである。

理解を求めても、誰も得をしないのだ。

妻の立場からすれば、
夫が毎日ゴロゴロと寝転がって
 
「私は病気なんで」
 
と言っていても、心のどこかで

「本当はただ単に弱音を吐いてるだけなんじゃないだろうか」

「怠けてるだけなんじゃないだろうか」

と思ってしまうのは仕方がないこと。

当の本人の私でさえ
自分自身に対してそう考え、
自分を責めているのが実情。

私が私を疑っているのに、
妻に私を疑わないで欲しいというのはムシのいい話だ。

家族が能動的かつ好意的に
うつ病を“理解”してくれると思うのは甘い幻想である。

この闘“妻”記では、
その甘い幻想の捨て方について書いていきたいと思う。

妻の「攻撃」と私の「戦略プラン」、その実行と結果。
 
これらをお楽しみ(?)いただきながら、
少しでも同様の環境の人に役立てていただければ幸いである。
 
 
<真壁純貴 著>