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子供のうつ病を許せない両親

勝ち組なのに苦しいのはなぜ ~毒親とアダルトチルドレンからの脱出~

<著者:KYO>

2.子供のうつ病を許せない両親

 

│懐かしい母の笑顔

 
有休を使い果たし、薬でろれつが回らない口元を必死で動かしながら、惨めさと恐怖で泣き出しそうな気持で、うつ病を患っていることを会社に報告しました。
 
その頃には、仕事の事など考えられない状態でしたが、「うつ病ってバレちゃった…」と、とても落ち込んでいました。
 
一人暮らしになった私の元を訪れていた母は、ベッドにうずくまり、もがいている子供が、既に精神的な病に侵されていた事を知っていたと思います。
 
そして、幾度となく繰り返した復職希望の度に、親と同伴の面談が必要でした。
 
復職は難しいと考えている会社としては、「もう治りました。大丈夫です」と、繰り返す私ではなく、同伴した母に詳しく病状の確認をするのでした。
 
「どうなんでしょうね。本人がこう言っていますのでね」と、母は、質問に噛み合わない返答を、その場には不似合いな満面の笑みと、少し高めの声で繰り返していました。
 
それは幼いころ、テスト結果に不満な母が、私を叩いていたのに、鳴り出した電話を取ったときの笑顔と声でした。
 
どうして一瞬でこんな笑顔になれるんだろう?と、母の変わり身の早さに驚きながら、微笑んでもらった事もない私は、電話の相手がとても羨ましかったのです。
 
 

│うつ病に育てた覚えはない

 
少しでも病状の回復につながればと、一週間程実家に滞在しました。
 
その頃には、手の平からこぼれんばかりの量の薬でも、私を苦しみから解放してくれることはありませんでした。
 
どうにか楽になる方法はないかと、そればかりを考えて過ごし、そして、アルコールと薬、という組み合わせを思いついてしまったのです。
 
実家に滞在中のある朝も、明け方からアルコールを買いに行く後ろめたさを感じつつ、そんな事を気にしていられない苦しさに、何の躊躇もなくコンビニに向かっていました。
 
家に戻ると、リビングのドアが珍しく開いていて、両親が見たこともない様子で立っていました。
 
私の知っている母からは、到底想像のできないか弱さで泣いていて、そして、常に勝気の母に手を焼いていた父が、ピタッと母の横に立っていたのです。
 
両親がこんなにも寄り添っている姿など、一度も見たことはありませんでした。
 
涙ながらに、「うつ病の子供に育てた覚えはありません」と、母。
 
母の背中をさすりながら、「お母さんに謝りなさい」と、父。
 
この言葉の不自然さよりも、両親のこの異様な姿にあっけにとられて、
 
なんだこれ?
 
と、不思議とすっきりとした頭で思いながら、自分の部屋へ戻っていきました。
 
その場から逃げ切る為に、取り合えず謝ってみる、という子供のころからの習慣さえ忘れさせる光景でした。
 
両親としても、理想の子供像からはあまりにもかけ離れている私の姿に、病気として受け止める限界だったのでしょう。
 
うつ病になった事で、さらに心の負担は増え、症状の悪化と共に休職期間が過ぎ、止む無く退職になりました。
 
その後、治療に専念できる時間を得て、うつ病の回復に向かうことになりました。
 
<著者:KYO>
 
<次回更新予定2018年7月31日(火)>